ヨーロッパ生活の初めロンドンでの思い出1
|
1975年3月の初めふらりと日本を出てパリ経由でロンドンに行きました。どこでも良かったのですが、少しは出来る英語の通じる国の方が先ずは安心だろうと最初の到着地をロンドンに決めました。20歳で始めたヨガの教え;「他を頼るな、自力で生きよ」を実践するのと広く世界を見るのが出国の動機でした。せっかく来たのだから先ずは豪華にと、Riezent
Palaceというかなり高級なホテルに部屋を取って4,5日観光を楽しみました。少し慣れたところでたった一枚持っていたイギリス人のトランペット奏者バズ・トルーマン氏の名詞にあった電話番号に勇気を出して電話を入れてみました。トルーマン氏は60年代にラテン音楽で有名だったエドムンド・ロス楽団のファーストトランペット奏者として日本に何回か来ています。私が高校3年の時に岡山でもコンサートがあり、当時ラジオで聴いていたサウンドに魅了されて友達数人と期待に胸をふくらませ行きました。演奏後ずうすうしく楽屋に押しかけて行って知り合ったのがこのバズ・トルーマン氏です。彼のトランペットは明るく輝く中に品があり前から聴くと糸を引くようにまるで音が目に見えるような感じでした。優しい紳士で18歳の私が楽屋に来たことをとても喜んでくれて
名刺をくれました。 それから実に7年後に突然電話を入れたのですから氏も大変びっくりしたようでした。驚いたことに私が岡山市民会館で楽屋に訪ねて行ったことを覚えていてくれました。おお、あの時の坊やか、という感じです。その当時彼はミュージカル「ハロードリー」のオーケストラピットで演奏をしていてその晩遊びに来いと言われました。 彼のそばに椅子を置いて一晩中ステージを見たり演奏を聴いたりして楽しみました。丁度その晩オーケストラにトロンボーン奏者のトラが来ていました。音楽界の言葉で助っ人のことをトラと言います。多分エキストラを日本流に略したものではないかと思われます。2,3日後その彼からホテルに電話が入り今晩トランペットを持って来れるかと言うのです。指定されたレスタースクェアーのエンパイヤーボールルームに行くと楽屋に案内されました。もうたくさんのミュージシャンが話をしたりウォームアップをしたりしていました。
|
私が入って行くとみんな一斉に驚いた感じで視線を投げかけて来ました。日本人等初めて楽屋にやって来たのでしょう。トロンボーン奏者のテリーが「今日のファーストトランペットだよ」とアナウンスするとみんな一堂におうと声を上げて喜んでくれました。それからバンドリーダーのトニー・エバンス氏に簡単に紹介されました。彼も驚いた様子でしたがとても喜んでくれました。何とあのトム・ジョーンズの伴奏オーケストラを連れて日本でツアーをしたと話をしてくれました。有名な女性歌手メリー・ホプキンスとも日本に来てツアーをしたりスタジオで録音したりしたと懐かしい素振りで話してくれました。ステージに上がると10人くらいの編成のバンドで歌手が4人前に並んで歌うというものでした。2千人収容出来る大きなダンスホールでたくさんの人が演奏の始まるのを待っていました。その日はファーストトランペットの席が空いていてそこに座って一晩中初見で吹きまくりました。当時25歳の私は怖いもの知らず、力の限りラッパを吹く、英語で言えばFullbodied-trumpetでそれをバンドのみんなが大変に喜んでくれて演奏中も私に向かって「Hey, great, man」とか何とか叫んだり、親指を上に向けて「Good}の合図を送ったりして来ました。最初の休憩の時にトニー・エバンス氏が「お前はトランペットをハートで吹く奴だ、とても気に入ったよ」と褒めてくれました。バンドの連中も初めての日本人が一緒にやっているのとラッパがばりばり鳴っているのとで確かにみんな一晩中興奮して演奏をしました。ホールの支配人も従業員もバンドのハッスルぶりに驚いたとのことでした。演奏の後トニー・エバンス氏に彼の楽屋に呼ばれて、「良かったら来週からうちのレギュラーとして来ないか」と言われました。願ってもない、こんな幸運が他にあるでしょうか。バズ・トルーマン氏に電話を入れてこの話をすると「何て幸運な奴だ」と言われました。彼には余計な心配をかけまいとロンドンにはただ観光に来たのだと言ってあっただけです。当時のイギリスは既に経済面で下降線をたどっていてロンドンでもたくさんの音楽家が職を失って地方に都落ちをしていた時代でした。ですから外国からぽいとやって来た人間がそんないい仕事をすぐに見つけるなど夢物語です。以後30年になるヨーロッパ生活もそんな夢のような幸運なスタートを切ることが出来ました。苦労も待っていましたが。続く
|